昭和四十一年七月二十六日 朝
皆さん一人一人の信心が、神様に認められ、そして喜んで頂けるという信心、はあ―あの氏子は、例えば認められる、同時にそれが喜んで頂けれる信心。
皆さんどうでしょうか、自分こそ認められておる、自分こそ神様に喜んで頂けれる信心を目指しておると、これなら私、誰でも出来るんじゃないかと思うですね、分かるところが分かれば、神様に喜んで頂ける様な、言わば完璧といわれる様な信心が出来るという事は難しい、けどもその完璧といわれる様な信心を目指すという事、ね、神様に喜んで頂ける様な信心になりたいと、こう願うという、これなら誰でも出来るんです。
願う、出来てなくてもいゝ、それでも神様は喜んで下さる、ね、生き生きとした、私は信心というのは、そういう限りない、恐らくは私共が一生掛ってもです、ね、まず出来ないでしょう、けれどもその、でけないからというて、そこに腰を折ったり腰掛けたりしたんでは、神様はお喜びじゃない、でけんながらも、そこを目指しておかげを頂いていこうとする、いわゆる求道心です、ね、追求していく心と、そういうものを私共がその 信心が少し熱心になる、信心が少しおもしろうなる、まあおもしろなるというと、おかしいですけれどやっぱそうですよね、何でも稽古ですから、稽古事はやっぱり面白う味が出てこなければ、上達するものじゃありません。
だから暑さもなかなきゃ眠さもない、ね、自分の好きな稽古事でもする時には、少々頭が痛かったぐらいな時はもう、その稽古を始めるともう良くなっちゃう、好きでする稽古だからです、ね、ですから私共のその願いというものがですね、もう私達はこのくらいなおかげ頂きゃ、もうそれでいゝ慾な事はいわん ね、も、まあ一家が円満で借金払いどんがでけて、健康なおかげ頂きよんなら、これより上の事は望まん、といった様な事ではね、信心は進みもしませんがそれでは、神様に喜んで頂ける信心とは申されません。
いやそれはむしろ神様を淋しい思いをさせる、場合によってはそれこそ神様をガッカリさせる様な事になるやらわかりません、ね、あの氏子は―とこう思うておったのに、少しばっかりおかげ受けたら、も、あれで腰掛けてしもうた、こんな淋しい事はない。
この道を来る人もなし、秋の暮れ。これはもう俳聖といわれた芭蕉の、晩年の句だそうです、ね、俳句の道というのは、そんなに生易しいものじゃあない。
極めれば極めるほど底がない、そこを目指して芭蕉は旅に出た。してそういう苦しければ苦しい、楽しければ楽しい中から、あの珠玉のような句が生れた。
たくさんの弟子もあるけれども、ね、そういうところを目指してからその、付いてくる者がいないと、ちょっとした句がひねれる様になったら、もうそれで上達したように思うたり、もうひとかどの俳人になった気分で、その、思うてしまう ね、こういう素晴らしい境地が、俳句の道から生れてくるのに、こういう道を極めようともせずに、途中半端で止める弟子達の事を思うての、句であると云われておりますですね。
この道を 来る人もなし秋の暮れ 晩年、非常に淋しい、ね、その気持ちであったという様な事を、まあ、句に現したという事ですね。金光大神でも同じ事、教祖の神様がですね、折角この様な素晴らしい道に、ご縁を頂き乍ら、みんながそこ迄でいゝのかと―
と仰られたいようなところで中座してしまう、勿体ない話でしょうが ね、この方の事を生神生神というけれども、この方ばかりが生神ではない、と、みんなもそのようなおかげをうけられると、ね生神とはこゝに神が生れるという事であって ね、信心をすれば誰でも、おかげが受けられると仰っておられる。
生神さまは教祖の神様だけの、専売特許じゃあないという事、お互いだあって そこにおかげを頂いていけれる、その証拠にその後においては、あの、そういう事が出来なくなりましたから、神格といったようなものを「 」神格をもって呼ぶ事を許されないご時世になりましたから、申しません様になりましたけれども矢張り、当時は何処何処の金光様 といわれる様な方が、おありんなったという事ね。
笠岡の金光大神なんかも、それなんです、にしろくの明神様なんかでもそうなんです ね、限りなく教祖の神様がたどられたところの、信心というものを私共が、限りなくたどらせて頂こうとする、願いというものをです、お互いが持たなければいけないと思うですね、このおかげが頂きゃあもうそれでいゝと、いったような信心ではです、結局おかげ目当ての信心で、神様に喜んで頂ける
神様に喜んで頂ける様な信心がです、果たして出来るか、できんか 分らんのだけれどです、恐らく出来ないでしょ、けれどもそれを前借りにしてはならない、やはり目指すところはそこだと云う事です、私は何時もそれを思っておる、私も生神様んなろうと思っておる、ま どうでもこうでもこゝんところを目指したいと、そういう私は、この願いがです、いつも私を生き生きとした者にしてくれる、と私は思うおる、求めてやまぬもの ね、それこそ私共が一生逆立ちしても、出来る境地じゃございますまいけれどもです、けれども、できる、できるところまでは登ってみたいね。
教祖の神様をガッカリさしちゃあならん、天地の親神様を悲しましちゃならん……と たまにでも時々にでも自分の心ん中にです、こゝに神が生れるという事であってというのは、こういうものであろえかと、いう様なものを、心ん中に頂かして頂き乍らです、ね、信心を進めていくのでございますから、信心が楽しい、いや面白いそこに暑さもなければ、寒さもないといった様な有難い境地が、私は生れてくると確信する。
みなさん、だからそこに願いをですね、も只、目先の小さい事においてはならないという事、こゝまでは誰でもと、こう仰るのだから、そこを目指さなければいけないという事 だから限りない改まりと、限りない本気での 研かして頂こうと云う意欲と、もう本気でひとつ限りなく美しゅうなりましょうや、と云う椛目の合言葉ですよ ね、それはどういう事を意味するかというと、私は矢張り、生神とはこゝに神が生れる、という事であってと、この方がおかげの受け始め、みんなもこの様なおかげが受けられると仰る。
そこんところをです、私は目指すところに、限りない、もこれで良いという事はない、磨くという事も、改まるという事も、美しゅうならして頂こうという事も ね、そこを私は神様に喜んで頂けれるという事、ね、神様の方が生き生きしなる、神様の方が躍動なさる、あの氏子が顔を見ただけでも、神の心が生き生きしてくると、例えばそこにです、ひとつの比礼というものはあるのですよ、ね、ところが同じ願いに終始して、言わばその辺を行ったり来たりしておる信心を、どうどう廻りの信心だと云われておる。
それではつまらんでしょう、ね、おかげもやつぱどうどう廻りの信心、おかげがやはり現われておりますけれども、それではつまらんね。 昨夜でした、もう婦人部会の方達がかえられた後。
あすけ四、五人残って、昨日丁度熊本ん、まつみ先生がお泊りんなっとったから、まあ色々お話が弾んでおった、ま どうした事、どういう風な事からだったでしょうか、久富先生があの本当にあの御結界奉仕をするという事、しかし親先生の場合なんかは七時間ず―っと、もう いうなら奉仕なさる。
もうそれこそ便所にも立ちなさらん、水飲みにも行けん、行きなはらん、座った切り、も本当に私でん毎日二時間ずつしか奉仕せんけれども、本当に大変な事だという意味の事を云われるから、私はこう云うて、それでもね、私はなる程、そりゅあの楽な事じゃないけれど、ね、じつないけれども、そのじつないというところを、私はもう一辛抱させて頂きよるとです、いわば久富先生が十二時にこう替られる時には、本当に替りたくないごたる気持ちが生まれてくる、こりゃ本当ですよ、「」その話をしよったけれどまた、私が、いわゆるじつない時です、ね、始めからみんな有難い有難いじゃないて、ね、段々段々、それこそ 背を伝わる汗の暑さよダルマ行、と言った様な時には、もそれこそ本当にダルマさんの様な行だと、しかも背中を熱い様な汗が流れる。ね、けれどもそういうところを金光様にお縋りし乍ら、それこそ神信心には辛抱するという事が、一番大切でございます。と、
その一番大切な事を大切なものとして、辛抱し抜かせて頂く時です、その後から、何処から湧いてくるか分らん、誰が与えて下さるか分らんけれども、声上げて泣きたいごたる喜びが、頂ける事だけは事実なのだと、そのじつない自分に私は思うんですよ、と、
お百姓さん達がこの炎天に、田ん中へ入って御座ると思うたらです、私共は屋根の下に只、座っておるのですから楽なものだ。
私はこういう話をしたんです、そしたら側に聞いておられたしげおさんが、云われるんですね、そうですもんね、もう百姓の仕事というものはです、そりゃもう先生、御結界でまあ暑うもあんなさるけれども、百姓仕事はまあ一丁上です、と、こう云われる訳です。そうですね、あの炎天下に、それこそ田の草でもとる時には、あすこに這う様にして、しかも汗は目に入る、稲の穂先は目に刺さる、もうそれこそ、あげんじつない事はないと云うて、話されるんですね、いゝえそれが、とても御結界の御用なんかは奉仕なんかて、そげな生易しいものじゃなか、と久富先生自分で、自分で参って頂いておられるから、そう云われるしげおさんはしげおさんで、いゝえ一辺百姓をしてみなさい、こげんじつなか仕事はなかですばの、ちてから云われる訳なんです。
それ聞きながら私が思うたですね、それこそ椛目の優等生のごと云うており、云われておられるしげおさんがです、はゝあ こゝにこの人のおかげの受けられない元があると、私は思うたですね。
だから、どうでんこうでん、しげおさん私、あんたが毎日明日から参ってきたら、今日はどげな風じゃったの、ち 一辺聞く事にするけんね、 ?嫁
なる程それで私が合点がいく、長男の息子を迎えたい、その随分あっちこっちに村にも行くけれども、お百姓さんであり、しかも畑が沢山あるという事を理由にして、九分九厘出来ておっても崩れていく、皆さんも御承知の様に、よか男でもあるですもん 息子は、人物でもあるですもん、家族の方達も信心一家ですから、良い家庭なんだけれども、百姓だというた事がです、何時も縁談が崩れる元になってるんですよ、はゝあ、これじゃあ縁談が崩れる筈だと、私は思うたです。
中心の祖父自身が、こげんじつなか事がなかって、云いよるんですものね、そうでしょうが、そう、どうしてよその娘がそげなじつない所に、来てくれと云う方が無理なんだ、こら商売あの 百姓だけの事じゃあない、もう一事が万事に、それだなって云うて私は、又その、なる程としげおさん、明日から田のなかに入る時に、畑の中に出る時には、私が丁度御結界につく時のような気持ちでです、御用おかげ頂きなさい。
本当の御用にならなければならん、なる程汗も流れてくる、じつのうもあるね、さあ、だから、もいってよあがろ、日陰んどんいってから、じゃお茶でん飲もかと、と云う様な事ではなく、はあ-、こゝが辛抱のしどころだなと、神様にお縋りさして頂いて、おかげ頂かして頂いたら、さあもう、お父さん時間ですばい、あがりましょうかと云う時に、そうかお前そんなら、一足先に帰っとってくれと、俺ゃもう一降しねやってるけんと、
例えば私がこゝで、御結界で んなら次の交替の人に替る事が嫌なくらいにです、一降ろし これから先は神様のお礼だというごたる気持ちで、御用が出来るごたるです、おかげ頂かなかったらもうあんた、おかげ頂かんよ、と私は申しましたね。
私が何時も言っている様に、椛目ではお百姓さんちゃ何人しかなか、私が百姓した事がないから、こういう田舎におってお百姓さんが少ないから、どうでも しげおさんあんたがしっかり信心さしてもらってね、百姓道の上にお道の信心を活かして、そしておかげの上にも百姓、金光様の御信心さして頂きゃ、こういう素晴らしいお野菜が、こういう素晴らしい稲作なら稲作が 出来るんだというです、実証をして下さらなければその、それに付いてくる人達がないです、悲しい事。
私がそこんところん体験がないから、しげおさん私のまあ、いうならばその片腕なら片腕ともなって頂くくらいな、ひとつ願いを思ってです、あなたがそういうおかげを受けてくれたら、お百姓さんの御信者さんも増えるじゃろうというて、何時も云うているけれどこゝんところを頂かなければ駄目ですよ、ね。
とてもとても百姓、こげなじつなか仕事はなか、これではなる程口でこそ御用だけれども、本当の御用んなっていないと、ね、現在お互いが頂いておる今、今の 今日的一つの難儀という中にです、喜びを見出す以外、他にはないのだと、信心とは、どうしたならば楽にそこから出られるじゃろうか、どうしたならばおかげ頂けるじゃろかと、おかげとか楽とか求めちゃならんて。
楽をするという心んなるなと仰る、楽はさせて頂けと仰る
させて頂く楽じゃなかにゃつまらん、自分がするという楽じゃつまらん、おかげを頂こうと、おかげをどげんしたならおかげ頂けるじゃあなくて、もうどうしたならば、この中に喜びが湧くであろうかそこに信心の稽古がある、そこに親神様の思いがある。
私は毎朝こゝに座る前に、どうぞ神様、間違いなくあなたのお心を、みんなに伝えさせて下さいと、私は願うてこゝへ、御神前に立たせてもらう、だから私の話じゃない、神様の御心を、私は皆さんに伝えておるのだと。
神の心を心として、皆さんが分かる時にです、はあ-神様、私は痛いと思うておった、苦しいと思うておったけれども、こういう御神意のあっての事であると分かる時にです、痛いけれども有難いものが生まれてくるんだと、じつないけれども、その下からです、何処から与えこれるか分らん程の、有難さというものが頂けれるのだと、だから人がこれから以上の辛抱が出来ないというところが、今度は楽しゅう辛抱が出来るのだと、そこにです、私は生神への道というのが出けてくると、はっきりしてくると、こう思うのです。
最近、私が感ずる事は、日曜たんびんに、あの学生会があっております、も、本当同じ年代の人達ですね、高校生と大学生の方達ばかりですから。
先日の日曜ん時も、丁度二十名余りでしたけれど、午前中を色々協議やら、教学の勉強やら、体験発表やら、という様な事で丁度十二時頃まで、いつも十二時頃までなさいます、そして御祈念をしてから解散するんです。
この前は話が燃えましてから、信心実習をやろうと、みんなは弁当持って来てないもんですから、そんなら素麺なっとん湯がいてから、その、私の修行場でもあったその滝場なんですよね、耳納山の中腹にあるんですよ、もうあそこに行ったら、もう本当に夏でも、一辺に汗が引っ込む位に涼しい所でもある。
ま、レクレ-ションを兼ねて、信心実習だというわけ、それなら素麺の持って行き具合があるけん「 」帰らんならんから手を上げてみなさいち、とみんな手を上げち、二十名ばかり若先生が先頭してまいりました、もう四時も四時半すぎでもありましたでしょうか、みんなが帰って参りましたのは。
それこそ生き生きとして、ね、皆さんの信心といや まあその段階の点においては、それこそ程度が低いでしょ、けれども生き生きとしてです、求めて止まぬ、言わば若々しいその力がです、こゝでみんな二十人揃うて、さらな御祈念しておる
こっから御祈念見せて頂いてからです、私は思うた「 」御祈念済んでから言った事でした、皆さんがこゝで御祈念をしておる、みんな白と黒の同じ様な衣装ですもんね、高校生、大学生ですから、しかも同じ二十歳余りの 十七,八の人達ばかりが揃うて、二十名こゝに御祈念をしておる。はあ-も これはこのまゝ、このまゝ神様にお供えが出来るなあ、と私は思うたです。
不純なものがない、ね、若々しいその信心とでもいうですか、燃えておるち云うですか、ね、そこに私は生き生きとしてものを、お広前にひとつの、生き生きとした雰囲気というものが生れるというのは、ね、若い信者の多いところだと云われております。
も、いつ参ったっちゃもう、爺さんと婆さんばっかり、その点、椛目の場合なんかは、やはり青年会と学生会という方達がその 多い、しかも銘々が体験、やはりあの、おかげ話が出来る位に、銘々に体験を持っておる、ね、ですからこの人たちが、どうぞひとつ、つゝがのうです、様々なその 虫に付かれたり、災いされたりせんで、どうぞすくすくとです、本当云うと只今、私が申します金光大神を目指して、信心になられていく様な祈りを、願いを思わずさしてもらわなければおられんと、いう気が致しますけれどね。
そこを大人んなって参りますとです、どうしても不純なもの、ま不純なものと云うとおかしいですけれど、やはりおかげの方が先に立っておると云う様な感じ、そしておかげ頂いたら、ほんなこつ、そこで腰掛けてしまう。
私が何時も申します様にね、本当に私はもう、腰掛けの信心は嫌だと、私を踏み継ぎにして、上ん昇って下さるなら有難いけれど、私を腰掛けにするならば、もう私は御免被る、と言った様な気がする、ね、そげん も先生のごつまではならんで、ね、そういう考えが一番、神様をガッカリさせるものだと、ひとつ分からにゃいけません、ね、本当云うたらその、金光大神を目指してですけれども、まあ云うならば、こゝで私を目指してです、とても先生のごたる真似は出来ん、何の出来ん事があるもんか、例えばお百姓さんなら、お百姓さして頂き乍らです、あるいは、御結界奉仕さして頂き乍らです、熱い汗を感じながらです、有難いものを頂かして頂いておるのも、田ん中で、畑ん中で頂けん筈があるもんか、問題はその願いがそこにあれば……途中切れ